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1: 2014-01-06 (月) 18:28:41 seria ソース
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 +*indigo 概要 [#wc4dbc74]
 +インディゴは藍(あい)のこと。天然の藍色染料で、織物などを染めた後、空気にさらして酸化発色させる。インディゴはそのままで不溶性であるから、顔料としても用いる。主にジーンズやデニムに使われている。もともとインド産の藍が使われたことからこの名がついた。現在では合成染料で染めることが多い。
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 +**歴史 [#pc34caef]
 +歴史上、ウォード(woad)を含む様々な植物から採取されてきたが、天然インディゴの大部分は熱帯植物のコマツナギ属(Indigofera)から得られる。温暖な気候の地域ではタイセイ(Isatis tinctoria)やダイアーズ・ノットウィード(Polygonum tinctorum)からも、コマツナギより量は少ないものの採ることができる。
 +アジアで最も流通したインディゴは真インディゴ(木藍、インド藍、ナンバンアイ、Indigofera tinctoria および Indigofera sumatrana)だった。
 +中央・南アメリカではアニール(Indigofera suffruticosa)とナタルインディゴ(Indigofera arrecta)の2種が最も重要視された。それまでは天然インディゴが唯一の原料だったが、1900年ごろに合成インディゴがとって代わり、今日ではほぼ全てが合成品である。 インディゴは染物や印刷に使われてきた最も古い染料の1つである。
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 +インド、中国、日本など多くのアジアの国々で何世紀にも亘って用いられてきた。メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ、ブリテン、ペルー、イラン、アフリカなどの古代文明でも知られていた。
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 +古の世界において、インディゴ染色の最も古い中心地はインドであったとされている。グレコローマン期のヨーロッパは主にインドからインディゴを輸入していた。インディゴを介したインドとギリシャの交流は、この染料を意味するギリシャ語 indikon に反映されている。ローマ人はイタリア語での語源となった indicum の語を用い、これが英語 indigo となった。
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 +紀元前7世紀のバビロニアの楔形文字で書かれた板には毛織物の染色法が記されており、布への染料の浸透・乾燥を繰り返すことによってラピス色の毛織物(uqnatu)が作られていた。インディゴは主にインドから輸入されていたと考えられている。
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 +ローマ人はインディゴを顔料、医療用、化粧品として用いていた。アラブの商人によってインドから地中海に輸入される高級品であった。
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 +中世ヨーロッパではインディゴは貴重品であり、ウォード(woad)という、同名の植物から採取される染料が代用品として用いられた。
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 +15世紀後期、ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマによってインド洋航路が発見され、インドや香料諸島、中国、日本と直接貿易することが可能になった。これによりペルシア、レバント、ギリシャの中間商人に関税を支払わずに済むようになり、またそれまでの危険な陸路は不要になった。その結果、ヨーロッパでのインディゴの輸入量・使用量は激増した。大量のインディゴがポルトガル、オランダ、イギリスの港を通してアジアからもたらされた。
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 +スペインは南アメリカの植民地から輸入した。ヨーロッパの列強国によって、熱帯地方に多くのインディゴのプランテーションが作られ、ジャマイカやサウスカロライナは有数の生産地となった。インディゴプランテーションはヴァージン諸島でも成功を収めた。一方、フランスやドイツはウォードの染料工業を保護するため1500年代にインディゴの輸入を禁止した。
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 +西アフリカにおいてインディゴは数世紀の歴史を持つ伝統的織物の基礎であった。ここではインディゴの利用は前時代から一般的なものである。サハラ砂漠からカメルーンの遊牧民族であるトゥアレグにとって、インディゴで染められた衣服は裕福さの印であった。ほとんどの地方で女性はこの染料で服を染め、特にナイジェリアのヨルバやマリのマンディングはその技術の高さで良く知られる。ハウサ族の男の間では、ピットと呼ばれる作業所で染め物屋として働くことが古都カノで富を作る基本的な稼ぎ口であり、今日でも同じピットで作業を行う姿が見られる。
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 +古くはエジプト古王朝時代の亜麻布にも見られる。
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 +日本ではかつてタデ科の蓼藍が使われていたが、琉球では在来の琉球藍(キツネノマゴ科)より色鮮やかなマメ科の印度藍が栽培されるようになった。日本では、絹を使うことが禁止され、綿の輸入と栽培を行うようになった江戸時代にアイが特に重要になった。綿の繊維をアイ以外で染めるのは難しかった。後年、青い海や自然が想起されることから、浴衣の色としてのアイの使用は高く評価されるようになった。
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 +ドイツの化学者アドルフ・フォン・バイヤーは1865年にインディゴの研究を始め、1880年、o-ニトロベンズアルデヒドとアセトンに水酸化ナトリウム、水酸化バリウム、またはアンモニアの希薄溶液を加える方法によってその合成に成功し、3年後に構造を報告した。1897年にBASFによって工業的合成法が開発され、1913年までには天然インディゴはほぼ合成インディゴにとって代わられた。
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 +19世紀にはイギリスはインドから大量のインディゴを輸入していたが、合成法が登場するとインディゴ農家は職を失った。
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 +**文化 [#m19f1ab7]
 +**特徴 [#y27e8266]
 +**種類・分類 [#e4411e60]
 +**構造・形状 [#v2e0adff]
 +**性質 [#q1e77092]

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